はいはいどうも。
イヌパワーの龍之介です。
三寒四温という言葉が子供のころから大好きで
季節の虚ろいが美しいという感覚は、多分親の影響で昔からあった
ふきのとうをとって天ぷらにしたりとか、この時期だと霜だらけのレタス畑に
侵入してめっちゃ怒られたりとか。
強がって薄着で登校してしっかり風邪をこさえたりとかね。
この頃は暖かい日も多く、昼下がりに雑木林の側を歩いていると、鳥たちの色めき立つ様子が耳に入るようになった。
しかし声で種類が分からない自分の不勉強が悔しい。
少しずつ知っていけばいいか。
気候の話を出すと大抵温暖化の懸念がセットになる。
どのくらい逼迫しているんだろうか。
なんかのドキュメンタリーで、もし今人間が絶滅したら地球は元通りになるのかって検証があった。
100年足らずで豊かに戻るらしい。
自然の自浄作用とは凄まじいものだ。
そうだった、動物としての僕は、かくもちっぽけなものなんだった。
日本が海外向けに日本自慢をする時よく出てくるのが、四季が鮮やかという話し
例えばアメリカの人達は正直、「いやアメリカにも四季あるし…」って冷ややかにみてるらしい。
その通りだよなぁ。
でもなんていうかあれよね、これ多分物理的な話じゃなくてさ。
万葉集の俳句から脈々と受け継がれてる、そもそも四季を感じて味わって
楽しもうとする器よね。
日本に古くから伝わってるものがあるとしたら。
いやだって17字制限の中にしかも季語必須って中々縛りプレイとしては上級でしょう。
日本の自然の豊かさは確かに、僕も好きだ。
僕に人としての豊かさがあるとしたら、何だろう。
今、必死にビジネスをやっている。
お金を稼ぐことが最終的な目的だ。
それは豊かなのだろうか。
豊かさの1つではあるだろうか。
四季を感じられたら、お金を稼げるのか。
中々難しい。
そう、そうやって一元的にイコールだけで結びつけようとすると、難しい。
がしかし、豊かさとは、気づけることなのではないか。
最近思う。
誰かの痛みや苦しみや憎しみに気づける
誰かの未来や幸せや可能性に気づける
自分が住む土地の良いところ、素敵なところに気づける
四季を感じるというのはその内の1つ、ってだけ
少しいつもの調子に戻せば、情報や学びの真の価値に気づける
僕は、豊かさとモノの多さは比例しないと思っている。
モノの裏側を想像して気づいて、初めて価値になって、それが豊かさになる。
例えば、分かりやすく言えば同じものでも自分で衝動買いしたものと、
誰かの誠意のあるプレゼントなら、全く違うものに見えるだろう。
手に持つまでの情報量が圧倒的に違うから。
豊かになれば、余裕が生まれる。
精神的にも、余裕が。
多分、その結果、与えることが出来るようになる。
お金とはツール。与えた結果最後に得るものだ。
日本人が住む日本という国は、資源に恵まれた国じゃなかった。
だから代わりに、感じて気づける、器を育んだんじゃないだろうか。
さて。
自らにエネルギーはあるか。
世の中を、全て自責で歩いていけるエネルギーはあるか。
足りないなら、あなたは別に悪くない。
エネルギーの培い方を習ってないだけだから。
しかし、今エネルギーが低い日本人が多いと感じるのは、気のせいではないと思う。
僕はそれが悲しい。
エネルギーを育み、それを与える器になる。結果価値の対価にお金を得る。
物事には順番がある。
はやく初めて早すぎることはない
だからと言って、今更始めたとあなたを笑う奴がいたら僕はその人を軽蔑するだろう
きっかけは、自分で掴んで欲しい。
それにしても、やっぱりこの時期の三寒四温は本当に好きだ。
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