目次
こんにちは、イヌパワー龍之介です。
少し昔の話になりますが
僕が23〜24の頃、うつから
立ち直れた時に
よく聴いていた曲の話しをします。
うつの人だけでなく、
今の時代を急ぎ足で生きていて
少しばかり疲れてしまった人に
ぜひ読んでいただければ、と思います。
「世界の約束を知って、
それなりになって、また戻って」
フジファブリックの「若者のすべて」の
2番Aメロの歌詞からの引用です。
ボーカルの志村さん(故)が
24歳くらいの頃にこの曲を
書いているのですが、
学生時代から気づけば大人になった
志村さんが、世の中の理不尽さを、
冷たさを、それらに対する苛立ち、
後悔を、たくさん経てまた結局
この場所に戻ってきている
自分を歌っている。
そんな風に、僕は受け取りました。
ちょうど鬱で退職した僕の23〜24歳の頃と
あまりにもリンクしていて、
ひょっとして僕のために書いた曲なのでは、
とまで思ってしまいました。
(そんなわけはないが)
社会に、世界に辟易して、
実家の西日が強い部屋に
4ヶ月誰とも喋らずに
引きこもっていた時に
この曲を聞いて、なぜだか
昔の友人に会いたくなって。
会って話してみたら、
なんだか涙が止まらなくなって。
でもその日から、
少しずつ外に出る回数が
増えていったんです。
世界の約束、とは
僕は、この曲の歌詞が大好きで、
志村さんのことを尊敬しています。
それにしても、先ほども紹介した
「世界の約束」
とは、一体何のことなのでしょう。
ここをどう解釈するかで、
この曲に対する印象は人によって
変わるのかなあ、と思います。
一応、歌詞全体がないと
話がボヤッとすると思うので、
以下に引用します。
真夏のピークが去った
天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は
落ち着かないような気がしている夕方5時のチャイムが
今日は何だか胸に響いて
「運命」なんて
便利なものでぼんやりさせて最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら 言えるかな
瞼閉じて浮かべているよ世界の約束を知って
それなりになってまた戻って街灯の灯りがまた1つついて
帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きを
取り戻したくなって最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら 言えるかな
瞼閉じて浮かべているよ擦りむいたまま
僕はそっと歩き出して最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
なんてね 思ってた
まいったな まいったな
話すことに迷うな
最後の 最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ
歌詞も動画も一応載せておきました。
話を戻しましょう。
1番では、感傷的になった
中学〜高校の頃に見上げた花火
それが、2番で突然
世界の約束を知って
それなりになってまた戻って
きてしまうわけです。
おそらく主人公は大人になり、
たくさん傷つき、
世界の約束とは例えば、
資本主義で勝ち残れない人間に価値はない
ということになっている今の世の中
に辟易していたり。
そして
擦りむいたまま僕はそっと歩き出して
と言っているように、
ギリギリでボロボロの状態のまま
少し勇気を出して今の自分を
肯定しながら踏み出していますよね。
花火大会は結構長いことやってる
真夏のピーク終わりの打ち上げ花火大会
僕は地元が横浜市ですので、
みなとみらいの花火なんか、
やはり懐かしいですね。
なんていう風に、日本人にとって
花火って意外と記憶と結びつきが
強いと思います。
中〜高生の頃見ていた花火
何年も経って傷つき果てても
同じ花火が上がっていることに
気がつけた主人公
あの時に同じ花火を見た、
大事な人なのか、
無二の親友だったのか
あるいは既に他界した人なのか。
その人との約束を
ぼんやり夜空に浮かべて
同じ空を見上げている。
みなさんにも、大きな打ち上げ花火を
見ると、なぜか感傷的になることって
あるのではないでしょうか。
「世界の約束」を骨身に
叩き込まれふさぎ込んだ自分
ひきこもった原因は様々ありますが、
やはり今思い返すと
「視野狭窄」
が大きくあったと思います。
- 目の前に見えてるものしか理解できない
見えている通りにしか考えられない自分 - その出来事から気づきや学びを受け取る前に
「完璧主義」的に考えてしまう自分
(完璧主義的だから、うまくいかないと
ストレスになる、という点で)
若さもあったのかもしれない。
今、年輪を重ねたこともあるかも。
しかしそれ以上に、人間としての
自分の本質の部分で、
直情的になりすぎ、そして
完璧主義的になっていました。
ものごとから学び取って知恵を得る
という考え方ができませんでした。
こうしていくうちに
先ほども使った表現ですが
「資本主義で勝ち残れない
人間に価値はないということに
なっている今の世の中」を
叩き込まれ、恐怖し、
理解して対処しきる前に
パンクしてしまったようです。
中〜高の頃よく行った
公園を朝から晩まで歩いた
公園と言ってもあれです、
結構大きな感じです。笑
1時間位では回りきれないレベルに
大きな公園。
「若者のすべて」を聴くうちに
なぜか行きたくなって。
ずっと歩きました。
近くに卒業した中学校がありましたので、
子供の頃の自分が何を考えていたか、
取り戻したくなって、ひたすら歩きました。
そうしていくと、
なんだか昔の友人に
会いたくなってきました。
それまではとても他人と喋りたい
なんて発想が持てなかったのですが、
自分が10代の頃音楽(と睡眠)しか
やってないことを知っている
人たちに、無性に会いたくなったのです。
話していくうちに、
音楽がやりたくなって、
ついでに働きたくなって
「世界の約束」が良いのか悪いのか、
今でも僕にはわかりません。
しかし少なくとも、良い悪いという
次元で考える意味はない。
受け取る側の僕が、
そこから何を学び取るかが重要だということ
当時の僕もここまではっきり言葉では
わかっていませんでしたが、それでも
うつでふさぎ込んだことは1つの
学びだったと、なんとなく
思うことができました。
自分のことを知っている人にあったり、
尊敬している人にあったり、
少しずつ動いて話していくうちに
考えがまとまったからです。
結局10代の頃音楽が好きで、
20歳の時に諦めて、
(詳細はプロフィール記事
参照をお願いします)
なんだかんだと色々な場所で働いたけど、
自分が真にやりたいことに、心から
没頭しきらないでやめて
しまったこと自体が、後から
自分自信を苦しめていたことに
気がつきました。
そして、その当時は
音楽をもう一度真剣にやりたいから
一旦働いてお金を稼ごう、という発想に
なりました。
実は、この発想も間違いだったと今では
気づいています。
しかし、引きこもりニートからの
脱却という意味で成功した部分と
捉えていただければ幸いです。
ちなみになぜ間違いかと言うと、
音楽やるためにする準備は音楽を
やる以外にないからです。
お金貯めていたらその間は時間を浪費
⇨モチベーションは空っぽになる
ということですがその辺は
↓こちら↓の記事で詳しく書いています。
(不完全主義こそ完全無欠)
フジファブリックが僕を元どおりにしてくれた、訳ではない
フジファブリックが
当時の自分のことを知っているかの
ような曲で僕に共感してくれて、
擦りむいたままそっと
歩き出す勇気をくれました。
しかし、その後
自分の足や口・耳を使って
復活のきっかけをつかんだのは
自分の行動と考え方の変遷です。
何か1つだけに依存した
考え方は、それがなくなってしまった
瞬間に自分を保てなくなるため
危険です。
ですのでこれからも
「元気勇気やる気」
を作り出せるような活動をし、
依存ではなく主体性を育み、
そのことを発信できるように
頑張ります。
ということで今回は以上!
読んでいただいてありがとうございました!
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